忌野清志郎一周忌に思う

一番古い記憶について回想すると、何度やっても幼稚園に入園した日になる。


もちろんまわりは知らない子ばかりだし、おれは心細い。ロの字型に椅子が並べられ、規則的に園児が配置されている。

向かいの列に一際大きいやつがいる。おれは直感的に「あいつは大きい組(年長)にちがいない。まちがえてすわっているな」と思う。たぶん思いたかった。

大きなウラカワくんはいうまでもなくおれと同じ日に入園した年少組であり、同い年だ。スモックが似合わないくらいにスラっと足が長く、側転まで披露する超人だが同じ4歳だ。

多分、これがおれが初めて自分が世界の主人公じゃないと自覚した日だと思う。


生まれつき身体的に有利な者がいたり、同じ訓練を受けても能力に差が出ることに、おれはかなり早い段階で気づいている。

姉を産んで慣れていたぶん、両親のおれに対する教育はかなり適当で的確だった。おれは幼稚園へ入ってすぐに字が読めるようになった。ひとつ上の幼馴染リュウタくんは軽くアホの子だったので、年長でも字が読めなかった。幼児教育の過程においてはおそらく誤差の範囲内だろうが、デンジマンゴーグルファイブの絵本をでたらめに朗読する彼をおれはかわいそうに思った。


児童心理学の講義をたまたま受けたときの話によると(おれは経済学部だったのに面白いと記憶している講義はこれと差別の歴史だけだ)、就学前の、両親や家族のみに保護されている環境から、最初に社会へ参画する幼稚園や小学校で「自分を愛してくれない人間がいる」と自覚するケースが多いと考えられており、その気づきが自我の芽生えの初歩であるとされている。

そういった気づきは何度かあって、小学校1年の担任にも気づかされた。教員用の版の大きい教科書を教卓にしまう担任に「せんせい、教科書もってかえらなくてせこい」と何人かでじゃれついたら、「せこくない!私はあなたたちの友達じゃない!!」と、かなりハードに言葉遣いを叱責され、全員が涙目になったのは、1年生の1学期、まだまだ文房具が嬉しいくらいの時期だったと思う。


これらの記憶は、トラウマと呼ぶにはあまりにありふれているし、数え切れない似たような出来事の一部に過ぎないと思う。でも、なぜかいちばん取り出しやすい位置に格納されているこれらの記憶が、おれの人格形成に強い決定力を持っている可能性は高い。

無数の点が連続して線になり、どれひとつ同じ顔を持たない出来事の蓄積が、誰とも重複しない個を築く。

おれが両親を他人と感じているのも、全ての出来事を集約した結果で、いまだに自分の血液型を知らないこと、知ろうとしないこととも無関係じゃないと思う。


無職の父親の借金を立て替えることになっても、不思議と怒りも悲しみもない。これまで避け続けて、放置してきた父親と向かい合う機会を歓迎すらしている。

ブラックフラッグのTシャツを着たおれが(My War)、60過ぎの父親に説教をする。かなりアシッドな風景を、幽体離脱してるみたいに第三者目線で見ている錯覚に陥る。降って湧いたような非日常に少し興奮しているおれは、半袖で出歩ける気候に感謝しながら実家を後にする。

いまなら本当のブルースを歌える気がする。チャボくずれみたいな渋い声で。いまのおれにはその資格がある。