ペドフィリアハードコア
こどものじかんのEDの曲がオフスプリングのパクリという意見について。ニコニコ動画を見る限りでは一部の粘着が鬼の首取ったように騒いでるだけのように見えるが、恐ろしいもので例え自演であろうと「これはパクリである」という意見が多数を占めると、世論としてはそうなっているという形で落ち着いてしまう可能性がある。Little Nonにもオフスプリングにも思い入れは全くないが、それなりの論理(ロリだけに)を裏付けとした批評をするべき。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1843949
■分析
似ていると感じられる箇所は以下3点。
逆に言うと、この3点以外似てない。
歌の譜割、コード感、リズムが似ている箇所があることがパクリと言われる原因であることは間違いない。
■仮定
作曲者がオフスプリングの当該曲を知っていた場合、サビをパクろうと意図した可能性がある。が、ここでいうパクりはあくまでフレーズの引用レベル。何から何まで似ているという域には達していない。部分的には引用するが、その他の部分およびトータルでは別の曲に仕上げようという意思が入っていると考えるほうが現実的。
■分類
仮にパクリを大きく2つに分類するとして、
- メロディラインやリフなどフレーズを引用する
- コード進行や曲調などアウトラインを踏襲する
というパターンに分けられる。Little Nonとオフスプリングの場合は前者。後者の例としては、井上陽水の「傘がない」とグランドファンクレイルロードの「ハートブレイカー」など。
前者はサンプリングに近い意味で使われることが多く、「渋谷系以降云々」みたいなサブいことを言うまでもなくおなじみの手法。工程としては「作曲」。対して後者は、あくまで原曲の雰囲気を再現するオマージュ。佐野元春がもろスタカンな曲を作る感じ。工程としては「編曲」。この2つを混同したまま話をするのは間違っている。
作曲におけるパクリは素材の流用、マンガでいうネームやコマ割りレベル。編曲におけるパクリは意匠の参考、マンガでいうストーリーや設定レベル。目的も効果もはっきりと異なる。そしてこれらは創作を行ううえで意識的にも無意識的にも不可避。
■結論
「ドアが四角いから、お前ん家はおれん家のパクリ」とか誰も言わないように、あまりにもポピュラーなパーツの場合何かとの類似性を指摘されることは少ない。どれくらいポピュラーかという基準が文章、絵、音楽などで異なるだけの話だと思う。義務教育において作文や絵画の授業があるのに対し、作曲の授業がないことからくるリテラシーの違い。
ついでにいうと、オフスプリングを出すくらいなら、キテレツ大百科の「スイミン不足」も出てこないとフェアじゃねえんじゃねえの、とも思う。
ちなみにLittle Nonのボーカルが永野のりこの娘だから肩入れしたわけではない。